私は保健師として勤務し横浜市都筑区福祉保健サービス課の管理職となった後、定年を迎えました。在職中、寝たきりのお年よりを在宅訪問したこともありましたが、ある農家で痴呆のおじいさんが犬の首輪につながれていたという話を聞き衝撃を受けました。今から25年ぐらい前のことですが、それがきっかけとなって高齢者の問題に関心をもつようになったのです。そして、医師や研究者、主婦などさまざまな人が集まって痴呆に関する啓発活動や勉強会を開いているボランティアグループ「和風会」のメンバーになりました。
90年代はじめ、和風会が交流している北海道の痴呆性高齢者グループホーム「函館あいの里」を見学する機会がありました。そこで、以前ほとんど車椅子だったのに入居後、元気に台所で立ち働いているという女性に出会い、自分もいつかグループホームをやりたいと考えるようになったのです。「函館あいの里」理事長の林崎光弘さんは看護師でしたが、スウェーデンなど福祉先進国の施設を視察した結果から、国内で先駆的にグループホームを設立した人です。「将来、グループホームをやりたいのなら入居者に責任を持つ意味でも50代初めには取りくむべき」と林崎さんから言われていたのですが、私は結局いろいろな理由で、定年まで勤めました。
管理職だったとき、介護保険などに関する政策の作成にも携わり、医師会や医療法人関係者といった人たちとの間にネットワークができました。そこで私は仕事を通して知り合った医療法人の理事長に、グループホームの重要性を説き施設の開設を働きかけたのです。当時、国や市は施設を建設するさい補助金を支給するようになっており、行政の現場にいた私はこうした情報も提供するなどして、2002年にグループホーム「横浜はつらつ」の開設にこぎつけたのです。
定年退職後、所長に就任しましたが、グループホームでは入居者ご本人のちょっとした表情や症状の変化を見逃さず、その人に合った適切なケアを提供するといったサービスが求められる一方、家族の対応にもあたり、看護の知識があることや保健師だったときの経験が役に立っています。また最近は、グループホームでのターミナルケアの必要性が指摘されるようになり、今後、現場において看護の視点で観察技術を持つ看護師の需要はさらに増加すると予想されます。
将来、看護職のキャリアをいかしたビジネスを立ち上げたいと考えているのであれば、在職中から異業種交流会などに参加して、さまざまな人とのネットワークを作ることをおすすめします。刺激を受けることはもちろん、経営や運営資金などに関する具体的な話を聞くこともできます。第2の仕事についてすでに4年目を迎えましたが、現在、グループホーム「(2つ目の仮称)横浜ゆうゆう」の建設が始まっています。国内でもグループホームが続々と誕生していますが、サービスの質についてはさまざまで、なかには運営に関する基準が守られておらず事業所の認可が取り消されたところもあります。昨年から外部評価を受けることが義務づけされ、今後より高いサービスの充実を図っていきますが、私自身の次の目標は、施設運営のノウハウを生かして、複合福祉施設(子ども・障害児者等を含む)の運営に関われたらと考えています。 |